ニーチェの素晴らしいと思う言葉

私の好きなニーチェの言葉

今回はビザと関係のない話です。

私の好きな人物でフリードリヒ・ニーチェがいます。

ニーチェの生い立ちを見ると、彼は決して順風満帆な人生を送っておらず、44歳の時には発狂して精神病院に入れられており、55歳に亡くなっています。

以下は私の好きな言葉というか、印象に残っている言葉の一部となるので、ご興味のある方はご覧ください。

自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。 なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。 『曙光』
不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなしたこと、自分の産んだことが人の役に立っていないと感じることだ。だから、不機嫌な老人がいる。一方で輝く青春の真っ只中にいる若い人たちが不機嫌なのは、自分が社会の中で生産的な存在になることがまだなかなか難しいからでもある。したがって、いつも機嫌よく生きていくコツは、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。そのことで自分という存在の意味が実感され、これが純粋な喜びになる。 『人間的な、あまりに人間的な』
どれほど良い事に見えても「~のために」行うことは卑しく貪欲な事だ。誰々の為にであろうとも、何々の為にあろうとも、それが失敗したと思われる時には相手、もしくは事情や何かのせいにする心が生まれるし、上手くいったと思える時には自分の手柄だとする慢心が生まれるからだ。つまり、本当は自分の為にだけ行っているのだ。けれど、純粋に能動的な愛から行われてる時には「~のために」という言葉も考えも出てくる事はない。 『ツァラトゥストラはかく語りき』
求め、追求し続け、それでも得られずについに疲れ果てたのならば、今度からはそれを見出すようにすればいいのだ。何をしても風が吹いてきて妨害され、どうしてもうまくいかないのであれば、今度からは風を利用してやればいい。帆を高く張り、どんな風が来ても、すべて追い風にしてしまうのだ。 『たわむれ、たばかり、意趣ばらし』
提示されたある案に対して反対するとき、よく考え抜いたうえで確固とした根拠があって反対する人はごく少ない。多くの人は、その案や意見が述べられたときの調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対して反発の気分があるから、反対するのだ。このことがわかれば、多くの人を味方にできる方法が何かがおのずと知れてくる。表現の方法、説得の仕方、物言いの工夫という技術的なものも確かにあるだろうけれども、それらの上には、技術では及ばないもの、つまり、意見を述べる人の性格や容姿、人柄、生活態度などがあるということだ。 『人間的な、あまりに人間的な』
あることを人が認める、その場合は三つある。まずは、その事について何も知らないから。次には、それが世にありふれているように見えるから。そして三つ目は、すでにその事実が起こってしまっているから。もはや、そのことが善悪のどちらなのかとか、どんな利害が生まれるのかとか、どんな正当な理由があるかなどということは、認める基準にならないのだ。こうして多くの人が、因習や伝統や政治を認めることになる。 『曙光』

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